PICK UP / 茨城のうまいもの特集

いばらき食材を使う料理人

京遊膳 花みやこ 店主 いばらき食のアンバサダー西野正巳(ひたちなか市)

西野正巳(ひたちなか市)

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料理人への夢

 ひたちなか市にある『京遊膳花みやこ』の店主、西野正巳さん。“大将”の愛称で親しまれている西野さんは、国内でも数えるほどしかいない“国際観光日本レストラン協会会員”であるとともに、“京都料理組合認定調理師”です。  子どもの頃からスーパーマーケットを営む忙しい両親に代わって、家族の夕食作りは自分の仕事だったという西野さん。この頃から“将来はコックさんになりたい”と思っていたそうです。小学生時代には誕生日プレゼントとして、包丁や業務用の厨房をプレゼントされ、さらに料理が面白くなったそうです。“料理人になる”という夢に向かって、西野さんは動きだします。  西野さん「当時は、テレビでたのきんトリオの“金八先生”や“積木くずし”などが流行っていて、同世代はとても荒れた時代でした。僕も悪いことも沢山やったけど、このままではロクな大人になれない、夢が叶わないと思い始め、あえて地元を離れ大阪の辻調理師専門学校に入りました。」  専門学校では、学校に通いながら生活費を自分でやりくりする“アルバイト進学”を選択し、そこで出会った先輩の紹介で、京都の有職料理(※1)を継承する老舗料亭「西陣魚新(にしじんうおしん)」で京料理と有職料理を学びます。これが本格的な料理人人生の始まりでした。  5年間修業を積み、支店の料理長にまでのぼりつめたところで、夢の舞台は東京に移ります。 (※1)平安時代の貴族の社交儀礼の中で発達した大饗料理。

京遊膳 花みやこ オープン

 東京では、のちに政財界の大舞台となった東京柳橋花柳界(※2)の高級料亭「いな垣」で学びました。ここでも実力を認められ、副料理長に抜擢されました。そして1993年、「30歳までには自分の店を持つ」と決めていた西野さんは、28歳の時に故郷である茨城県ひたちなか市に『京遊膳 花みやこ』を開店しました。建物は、人間国宝や名工の方々が手掛けた数奇屋造り。テーブル、引き戸の“手かけ”に至るまで職人の魂が息づき、茶室も備えた日本の伝統文化の結晶のような店は、西野さん念願の料亭でした。しかし、茨城の客層は、良い意味でも悪い意味でも“時間が止まっていたように感じた”と西野さんは当時を振り返ります。  西野さん「僕の料理を理解してくれる人は少ないように感じました。だから、本当に良いものを分かってくれる人に分かってもらえるようにやっていこうと。」  『京遊膳』は西野さんの造語で、全国から厳選した素材の良さを活かして四季折々の雅をお膳で提供するスタイルを表現しています。西野さんの作る、日本の伝統文化・美しさを表現する料理は瞬く間に口コミで食通や著名人に広がり、完全予約制の個室3室はいつも満席だそうです。 (※2)江戸中期から東京都台東区柳橋に存在した花街。 最後まで営業を続けていた料亭「いな垣」が1999年1月に廃業し、200年近くの歴史に終止符を打ちました。

 当時の客層は首都圏か県外出身者が大半を占め、地元の人はほぼ訪れなかったそうですが、西野さんの考えに共感してくれる人物の登場により、西野さんの心は動きました。  西野さん「サザコーヒーの鈴木会長が私の料理に対する考え方に共感してくださいました。『これからのひたちなか市にはこういう人物が必要』と言ってくださって。鈴木会長のお陰で、あまり接点のなかった地元の方々とも知り合うきっかけができました。料亭が昔ほど必要とされなくなってきたと言われていますが、これからの僕の人生、茨城にある本当に良いものを日本中、世界中に“伝える”ことに尽力してもいいんじゃないか、と思えました。」  西野さんは、花みやことあわせて、オリジナルのコンフィチュール(ジャム・ソース)を中心に販売する“花みやこブティック”をオープンしました。県内のあらゆる生産者さんと交流を持ち、“生産者が愛情を込めて作っているもの”、“安全なもの”、“美味しいもの”に加え、人柄に共感できる生産者の商品開発に携わり、花みやこブティックで販売する他、首都圏や海外に持っていき、販路拡大に尽力する活動を行っています。

インフォメーション
名称 京遊膳 花みやこ
住所 JR常磐線「勝田駅」東口より車で約5分
お問い合わせ TEL: 029-276-7703
WEBサイトURL http://www.hanamiyako.com/
アクセス JR常磐線「勝田駅」東口より車で約5分
その他の情報 昼・夜共に完全予約制 11:00~14:30(L.O13:00) 17:30~ ※この情報は2016年度時点のものです。

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