いばらきの食に挑戦する人たち
土は宝物、イチゴは私たちの家族。 村田和寿(鉾田市)
村田さん家のいちご
「“村田さん家のいちご”という名前は、お客さん皆様がうちのイチゴをそう呼んでくれるから、それをそのままいただいて名前にしたんですよ」そう語るのは、銀座千疋屋や超一流ホテルのパティシエが惚れ込むイチゴ農家・村田農園の村田和寿さん。365日、お客様の笑顔を想いながらイチゴのことだけに日々努力するイチゴの専門家です。 “村田さん家のいちご”は、艶やかな赤い色と張りのある美しい果肉、そして元気な濃緑色のへたがトレードマークです。一口ほおばると、甘さの酸味と香りが幾重にも広がり、あふれんばかりの果汁が口の中いっぱいにあふれます。それはまるでイチゴが奏でるオーケストラ。呑みこんだあとも、その濃厚な香りの余韻が広がります。 「イチゴは私たちの家族です」そう語るイチゴ作りの名人、村田さんにお話をお伺いしました。
村田さんは、父民夫さんと共に、メロンやスイカ、トマト、路地栽培のイチゴなどを生産していましたが、およそ30年ほど前にイチゴ作り専門になりました。親戚に大型のハウスで作るイチゴの生産を勧められ、当時主流だった“静宝”や“女峰”などの生産を始めました。 村田農園のイチゴは、村田さんが「うちの宝物」と呼ぶ、“こだわりの土”から作られ、世に“とちおとめ”がデビューし、村田さんが20歳になった頃、市場で「色、艶が凄いイチゴがある」とまたたく間に評判となります。 「今から15年程前、千葉の佐原農産物供給センターさんが、産直で扱える質の良いイチゴを探していたようで、とある方が“鉾田の村田さん家のイチゴがおいしいよ”と言ってくれて。その卸し先が生協だったんです。それまでは市場出荷が主でしたが、生協1本に絞りました。生協との出会いで自分の中で安心安全への意識も変わりましたし、更においしいイチゴを作る為にどうしたら良いかを追求するようになりました」と村田さん。 およそ20年間におよぶ生協への出荷を通して、村田さんが現在もずっと大切にしている数冊のファイルがあります。それは、村田さんのイチゴを食べたお客様からの手書きの手紙でした。 「もちろんおいしかっただけではなく、ネガティブな声もありますが今時わざわざ筆を執ってくれるので、とても感謝しています。うちのイチゴはこれだけたくさんの人達の想いを背負っている。この手紙がなかったら、今のうちのイチゴは無かったかもしれない。」 お客様の声こそが、“村田さん家のイチゴ”誕生の原点なのです。
村田農園の宝物
生産の主力をイチゴに絞り、村田農園のバトンが父民夫さんから息子和寿さんへと渡された後、村田さんの元に一本の電話が入ります。 「いつもうちのイチゴを買ってくれているお客様から、イチゴがおいしくないってお叱りを受けました」原因を調べてみると、土に原因があったそうです。あるハウスに、自家製のたい肥を入れるトラクターが入らず、やむを得ず袋に入った土を購入して入れたところ、イチゴの味が変わってしまったそうです。 「畑の土は、一度力を失うと元の土に戻すのに10年~20年、またはそれ以上の時間がかかるんです」と村田さん。この出来事から「土の大切さを痛感した」といい、村田さんが「うちの宝物だよ」と言って見せてくれたのは、大きな大きな“たい肥”の山でした。
おいしいが一番
「おいしいが一番」にとことんこだわる“村田さん家のいちご”は、勝負の場を生協から築地市場へと移します。市場で“村田さん家のいちご”を見た仲買人、卸しの担当者からは、「なんでこんなイチゴができるんだ?!」といった声が続々とあがりました。“村田さん家のいちご”の名は東京をはじめ全国的にも広がり、ザ・ペニンシュラ東京のパティシエ野島氏、そして日本最高峰のフルーツ専門店銀座千疋屋からも声がかかります。 「お話をいただいた時、ペニンシュラホテルというのは、僕ら田舎の人間にはピンと来なかったんですよ。でもある時家族でテレビを見ていたらペニンシュラホテルが出てきて。こりゃすごいホテルだ!って面喰いました。」と当時をふりかえります。「千疋屋さんからお話をいただいた時も、一年間ずっとリサーチしていただいたようで、実際にうちにも来ていたとのことでした。その結果をふまえていただいたお話だったんです。」 野島さん、そして銀座千疋屋の商品に対する厳しい目は、「プレッシャーである共に指標でもある」と語る村田さん。 一方で、イチゴの流通において最大の課題であった“運送による傷み”を、イチゴ一粒ごとに固定する資材“ゆりか~ご”を使うことで克服しました。
みんなで作る
「うちはね、スタッフ全員がチームになってイチゴ作っているんですよ」と村田さん。 村田農園の現在のスタッフは外国人研修生を含め合計11名。分業制ではなく、ハウスごとに担当者を決めて行っているそうです。 「同じ苗を世話することで、イチゴのちょっとした変化にも気付けますし、やっぱり自分で作ったイチゴとなると、責任感が生まれます。収穫したイチゴも、スタッフ毎に色分けしたコンテナに入れるので、誰が作ったイチゴなのかひと目でわかるようにしているんです。他のスタッフの作ったイチゴを見て、そこでも気付きが生まれます。」と村田さん。 村田農園は、スタッフの明るい笑い声とイチゴの話題がたえない農園です。皆で考え、話し合い、勉強しながらイチゴにとってベストな環境作りに励んでいます。
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「全国的に農家が減っていますよね。この地域(鉾田市周辺)も、農家がどんどん減っています。でも、農業、特にイチゴやメロンなどの果物作りはすごく面白いし、これから農業を始める人にとって鉾田市はすごく魅力のある地域なんです。もっとお客様に『おいしい』と言っていただけるイチゴ作りを追求するとともに、農業と、この地域の魅力を子供達に伝えていきたいですね。」 村田さんは年に数回、地元の小・中学校で講演を行っています。村田さんの娘さんも、就農を目指して勉強中なのだそう。農業に熱い夢を持った若者がどんどん茨城にやって来る。そんな日を夢見て、村田さんは“おいしいが一番のイチゴ”を鉾田の地から発信し続けています。
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