いばらき食材を使う料理人
旬のおいしさ見つけた!
茨城の食材を使用する料理人たちを紹介
突撃取材!いばらきの食材を使用する料理人の方々をご紹介します。
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神保 佳永(東京都)
「JINBO MINAMI AOYAMA オーナーシェフ いばらき食のアンバサダー 」東京・表参道駅から歩いて7分ほどの閑静な住宅街に、「JINBO MINAMI AOYAMA」はあります。 「JINBO MINAMI AOYAMAというお店は、神保そのもの。南青山という土地で、“神保自身が思い描くイタリア料理を提供する”、というのがコンセプトのひとつです」と語るオーナーシェフの神保 佳永さん。茨城県出身の神保さんは、「いばらき食のアンバサダー」も務めています。 「コンセプトは、日本全国の旬の食材、そして生産者さんとのご縁、絆、そういったものを、お皿のうえにイタリア料理として表現することです。料理は、イタリア料理の伝統的な部分は大事にしつつ、日本の食材や旬のものを活かしてお客様に召し上がっていただいています。コテコテのイタリア料理ではなく、イノベーティブ(革新的)でクリエイティブなイタリア料理を意識してご提供しています。例えば、野菜を“ぬか漬け”にしてイタリア料理に組合せています。ただ、“発酵がメイン”ではなく、さりげない発酵。そういったところで、日本の食文化、農家さんに教えていただいた“食”の部分をイタリア料理に反映しています」 野菜に特別なこだわりを持つ神保シェフ。ディナー限定で提供される、30種以上の野菜を使ったスペシャリテ「バーニャカウダ」は、神保シェフが思い描くイタリア料理を表現した逸品です。 「野菜を30種以上使ってお皿の上で表現するのですが、野菜をそれぞれ調理して、ひと皿に“バーニャカウダ”というイタリアの伝統的な料理に自身の色を出したものを提供しています」」
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佐藤 雄一(東京都)
「縁日 店主 いばらき食のアンバサダー」東京都港区白金高輪にある「縁日」は、茨城県下妻市出身で「いばらき食のアンバサダー」を務める佐藤 雄一さんが営むお店です。 「縁日は、“料理を楽しくおいしく食べられる、居心地の良い店”を目指しています。“夏祭りのような楽しい思い出が残るように”、“人と人との縁がある日に、そっと寄り添えるような料理を提供したい”そんな想いで店名を付けました」と佐藤さん。 「とにかく料理を楽しく食べてもらいたいんです。また、疲れない店でありたいと思っています。日本料理=敷居が高い、というイメージがあるので、疲れない雰囲気作りを心がけています。そういった雰囲気の中で、“他では食べられない料理”を出しています」 “他では食べられない料理”とは、日本料理を軸としながらも、形にとらわれることなく、“食べておいしく、ホッとする料理”を意識した、佐藤さん独自の料理。「会席料理の形とか、流行りとか、見た目の凄さは狙っていません。口に入れておいしい、そういう料理です。だから、うちの料理は“映え”ないんです」と笑います。 「でも、一番大事なのは、“誰と食べるか”じゃないかと思うんです。最高の食材を使っていても、お客さん同士が喧嘩してたらきっと不味いし、気が合う人同士だったら、何を食べても楽しいしおいしいと思うんですよ。最後の調味料はお客さんです。お客さんには『仲が悪い人とは来ないでください』と言っています(笑)」」
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前沢 リカ(東京都)
「七草 店主 いばらき食のアンバサダー」東京都渋谷区富ヶ谷にある「七草」は、茨城県土浦市出身で「いばらき食のアンバサダー」を務める前沢 リカさんが営むお店です。 「おもに、旬の野菜と乾物を中心とした和食を提供しています。移りゆく季節をお皿にとじこめ、旬を、季節を楽しんでいただきたいとの思いから始まりました。野菜が好きなので、野菜と乾物が主役の料理が多いのですが、お肉もお魚も使います。ヴィーガンレストランではないんです」と語る前沢さん。 「七草」は完全予約制で、メニューは食事・甘味 全8~9品の「おまかせの献立」のみ。前沢さんの作る料理は、野菜、乾物、豆などの素材を慈しみ、地味だけれど食べ飽きない、素材の持つおいしさを優しく引き出しています。」
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野永 喜三夫(東京都)
「日本橋ゆかり いばらき食のアンバサダー」江戸の文化と伝統が今も息づく街、日本橋。「日本橋ゆかり」は、昭和10年創業の、日本橋の中心部にある老舗割烹店です。現在腕をふるうのは、3代目・野永喜三夫さん。村田吉弘氏の営む京都の名店「露庵 菊乃井」で修業を積み、現在は「日本橋ゆかり」の暖簾を守っています。 店内1階には、目の前で職人の技や会話が楽しめるカウンターやテーブル席、小上がりがあり、地下には個室、広間もあります。 店のコンセプトは、『温故知新』。店の設計やロゴデザインにも携わり、ビアージョッキも自ら作るなど、野永さんの“料理”は、調理だけに留まりません。 「料理人なんて、調理するのはあたり前。割烹のカウンターはショータイムです。魅せる場であり、伝える場です。日本料理の伝統を守りながらも、多方面で新しいことを発信したい。」と野永さん。 野菜を水で“炒める”調理法の開発など、驚くような発想と応用を得意とする野永さん。自ら監修した、「ヨネビシ醤油の干し椎茸の万能ソ-ス」は「調味料選手権2015」で優秀賞を受賞するなど、その発想は、料理法だけでなく商品開発などにも広がり、その独自の発想から生まれる新しいアイディアは、国内外からも注目されています。 ※右写真4枚目…「トマトのすり流し(2,650円)」野永さんの発想が光る、日本橋ゆかりを代表する一品。トマトを使ったすり流しの上に、かつおだしを重ねた二層仕立てのジュレ。上には汲み上げ湯葉のソースと海水漬けの紫ウニが載る。最初は二層それぞれを味わい、その後すべてを混ぜると“和風のガスパチョ”へと味が変化する。」
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相田昌弘(水戸市)
「山口楼本店 料理長」明治5年創業、140余年の歴史を持つ老舗の料亭「山口楼」。水戸市の繁華街大工町に本店を構え、大洗などにも展開し、あんこう鍋など、茨城で育まれた食材を中心に使用した日本料理を提供しています。 名店の料理を手掛けるのは、相田昌弘さん。30代前半という若さで料理長に就任しました。 相田さんは、茨城県常陸大宮市の出身。“料理”という存在は、幼い頃から当たり前にあったといいます。 「両親が共働きだったので、祖母が面倒を見てくれました。祖母は明治生まれの古い人で、自分で米や野菜を作ったり、山に山菜を採りに行ったり、自給自足に近い生活。祖母が味噌を作る時にかまどで炊いた大豆の味は今でも忘れられません。あらゆるものを自分で作るという環境で育ったので、料理は“生活の一部”でした。料理自体が面白かったし、好きでしたね。久慈川で鮎を釣っては塩焼きにしたり、鯉をさばいて味噌で煮込んだ“鯉こく”を作ったり。中学生の頃はなぜか“発酵”にはまって、納豆とか作っていましたね。」 」
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秋山能久(東京都)
「六雁(むつかり) 総料理長 いばらき食のアンバサダー」総料理長の秋山能久さんを筆頭に、独自のセンスと多彩なアイデアで、枠にとらわれない和食の新境地を開拓するお店『六雁(むつかり)』。客の要望を聞き、好みに合わせた料理とサービスを提供するスタイルで、料理は全てコースで提供しています。 「サービスマンも含めて、チーム一丸となってお客様をもてなすのがうちの流儀です」と語る秋山シェフ。 「この六雁のコンセプトは、お客様と一体となることです。オープンキッチンですべてをさらけ出して、会話もしながら、料理を作り上げていくスタイル。スーパー歌舞伎ならぬ、スーパー割烹です」ごまかしがきかない、すべてを見せるという秋山シェフ。そのため、料理人も含めて、サービスマンもすべての所作に気を配る。まさしく“おもてなし”の心が隅々にまで行き届いた店です。 水戸市出身の秋山シェフは、今も自然が残る水戸の街で、野山を駆け回って育ったといいます。 「おふくろやおばあちゃんが作る料理が好きだったんです。山から採ってきた食材で作った料理、あと蕎麦とかね。そんなのを食べている間に自然と料理に興味をもった、というの始まりでしょうね」その後、高校時代に飲食店でのアルバイトを通じて、いつしか料理を仕事にしたいという気持ちが生まれたそうです。 「最初にお世話になったのは、笠間の陶芸家の方に紹介していただいた“割烹すずき”という店でした。親父さんと自分だけ、客席も6席だけの小さな店でしたが、そこで料理の基礎とサービスについて、徹底的に仕込まれました」接客から調理まで、すべてをこなすうちに、料理店の在り方、料理人の立ち振る舞い、それらが身についていったといいます。」
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鈴木弥平(東京都)
「ピアットスズキ オーナーシェフ いばらき食のアンバサダー」東京・麻布十番駅から徒歩2分ほどの場所に位置する『ピアットスズキ』。オーナーシェフの鈴木弥平さんは、伝統的なイタリア料理を基本に、革新的な技術を融合した料理を提供する料理人です。 出身は茨城県水戸市。高校時代にフランス料理店でアルバイトをしていた事がきっかけで料理の世界に魅了され、地元の中川調理技術専門学校を卒業後、単身上京しました。 鈴木さん「どうせやるなら上れる所まで上り詰めたいという気持ちで、上京することは決めていました。雑誌で“平田勝シェフ”の記事を読んで、この人の店で働きたいと憧れて、平田シェフが所属している会社に飛び込みました。当時はイタリア料理がどんなものかも分からず『スパゲティーか』くらいの軽い気持ちでしたね。」 」
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根本高行(笠間市)
「洋風笠間菓子グリュイエール オーナーパティシエ」歴史と文化の街、笠間市。笠間焼の郷であり、日本三大稲荷のひとつ笠間稲荷神社の門前町でもあります。また、農業も盛んで、特に笠間の栗の生産量は日本一を誇ります。 そんな笠間市にあるグリュイエールは、石とレンガ造りのおしゃれな外壁が目印の洋菓子店。店内には、ショートケーキやチーズケーキなどの定番ケーキから、笠間の和栗を使った「モンブラン」や焼き菓子など、100種類ものオリジナル商品が煌びやかに並びます。 オーナーパティシエの根本高行さんは、笠間生まれ笠間育ちの根っからの“笠間人”。笠間をこよなく愛し、笠間の歴史や文化などを「洋風笠間菓子」として菓子で表現しています。また、茨城県洋菓子協会会長、茨城県菓子工業組合笠間支部長を務めるなど、茨城県の菓子業界を牽引する存在です。」
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佐藤正信(水戸市)
「オー・ボン・ヴィヴェール オーナーシェフ」『オー・ボン・ヴィヴェール』は、1986年にオーナーシェフである佐藤正信さんが開店した、歴史ある本格フレンチレストランです。使用する野菜はシェフ自らが手にとって吟味。肉や魚は冷凍ものは使わず、産地にこだわったものを厳選するなど、素材の良さを生かした料理を提供しています。(ランチは1980円~、ディナーは5000円~。) また、オー・ボン・ヴィヴェールの隣『ステーキハウス彩(あや)』では、茨城の銘柄牛「常陸牛」をはじめとした銘柄黒毛和牛を堪能することができます。 シェフ厳選の最高級A5ランクのステーキがカウンター越しに焼き上げられる鉄板焼きの醍醐味を、十二分に味わうことが出来ます。(ランチ・ディナー共に10,000円~)」
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西野正巳(ひたちなか市)
「京遊膳 花みやこ 店主 いばらき食のアンバサダー」ひたちなか市にある『京遊膳花みやこ』の店主、西野正巳さん。“大将”の愛称で親しまれている西野さんは、国内でも数えるほどしかいない“国際観光日本レストラン協会会員”であるとともに、“京都料理組合認定調理師”です。 子どもの頃からスーパーマーケットを営む忙しい両親に代わって、家族の夕食作りは自分の仕事だったという西野さん。この頃から“将来はコックさんになりたい”と思っていたそうです。小学生時代には誕生日プレゼントとして、包丁や業務用の厨房をプレゼントされ、さらに料理が面白くなったそうです。“料理人になる”という夢に向かって、西野さんは動きだします。 西野さん「当時は、テレビでたのきんトリオの“金八先生”や“積木くずし”などが流行っていて、同世代はとても荒れた時代でした。僕も悪いことも沢山やったけど、このままではロクな大人になれない、夢が叶わないと思い始め、あえて地元を離れ大阪の辻調理師専門学校に入りました。」 専門学校では、学校に通いながら生活費を自分でやりくりする“アルバイト進学”を選択し、そこで出会った先輩の紹介で、京都の有職料理(※1)を継承する老舗料亭「西陣魚新(にしじんうおしん)」で京料理と有職料理を学びます。これが本格的な料理人人生の始まりでした。 5年間修業を積み、支店の料理長にまでのぼりつめたところで、夢の舞台は東京に移ります。 (※1)平安時代の貴族の社交儀礼の中で発達した大饗料理。」
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中村貴士(笠間市)
「地域と共に歩む」中学生だった中村少年は、テレビ番組『料理の鉄人』をきっかけに料理の道を志したそうです。 「高校生の頃には、学校が休みの日には自転車で漁港に行ったり、市場で食材を見て回ったりするのが好きな、変わった子供でした。」 東京、フランスでの修業時代にも周囲の人からは“変人”と呼ばれてきたという中村さん。 地域、食材、そして生産者をこよなく愛し、料理に添加物は一切使わない。料理に対する強い信念は強烈ともいえるほどのオーラを放つっています。笠間市で「フレンチレストラントルテュ」のオーナーシェフを務めている中村貴士さん。 調理師専門学校を卒業後、東京のフレンチレストラン『コート・ドール』斉須政雄氏の元で料理の基礎を学んだ中村さん。 「“新人は料理なんてヘタであたり前。まずは人間性を学びなさいと言われ、”自分に関わる全てに気を使え、と教えられました。それは対人間だけでなく、例えば冷蔵庫にもです。荒く音を立てて閉めたりすると、“冷蔵庫にも気を使え!”と怒られました。」 料理の基本はまず人間性から。斉須氏の教えは、今でも中村さんの指針になっているそうです。」
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